*A.10/9を踏まえて思ったこと **A.1 みなさんにとっての「広島大学ブランド」って何かな - 同じように「数学教育」を学ぶにも,「求められべきであろうこと」はかなり違う -- 自分の世代の「筑波大学」は5年目で,「東京教育大学」との関わりや違いをかなり意識した。 -- 当然,「東京教育大学」は「東京学芸大学」と違う。「東京大学」とも違う。 --- 今の筑波もきっと当時とは違う -- 当時の筑波大は,今の広島大学ととても共通するものを,散歩しながら感じた。 -- 「ただの教員になるためにここに来たわけじゃないよね」は学生の共通認識。 -- そこ(筑波)に教育学はあるけど,子どもはいない。でも,数学は存分にできるし,総合大学として,いろいろな人がいて,いろいろな学びがある。 -- でも,教育実習で附属高校に行くとそこにはまた別の世界,東京教育大学を感じさせるものがあった。 -- そこには,「教科書を教える」ような授業はない。そもそも使っていない。つくっているけど。 -- そして茗荷谷の駅の周辺にはいろいろな学校があり,いろいろな生徒があふれている。 -- なるほど「文京区」。 - 愛知教育大学は,「教員養成系」なので,「教員になる」ために必要なことを学ぶことを学生も期待しているし,こちらもそれを踏まえて「カリキュラム」などのことも扱う。 - それは「愛知教育大学ブランド」。東京学芸大学あたりも共通すると思うけど,一つ違うのは,「ほぼ愛知県だけ」。国立大学だけど,機能的にはほぼ「県立大学」 -- 茗荷谷でも,筑波でも感じるのは,「日本全体のため」につくられ,機能していること。あるいは国際的も含めて。 -- きっとそれは広島大学も一緒。 - で,「どこに焦点を当てる」のが,適切なのだろうかと。 **A.2 大学に何を求めるの? - 資格 -- 教員になるには不可欠であり,それを取得できるのが大学であることはたしか。 - 知識 - ...の他に何? -- 愛知教育大学の学生は「まじめ」で,「言われたことをきちんとする」。すばらしい。私はもっと「不まじめ」だった。でも,それは違う意味での「まじめさ」でもあった。 -- っていうことが,彼らにはなかなか通じない...。 - つまり,「カルチャーショック」というか,「知識刺激」というか,自分を大きく変えてくれるなにかというか -- 一言でいえば,「昨日の自分のままだったらいくら本を読んでも習得できなかったであろう」なにか -- 逆にいえば,「読んだらわかる」ようなことは,「読めばいい」 -- 出る価値を感じられないような授業は,単位だけがとれればいい。 -- それは互いの共通認識だから,欠席も当たり前だし,モグリも当たり前。 **A.3 「反転授業」って,何? - ビデオを見せるのが反転授業じゃない。 - 目の前の生徒たちに対して,「最適な学び」を実現しようとすることが基本 - 「教科書通りに授業をする」と,「授業にならない」から,(筑波も愛知も)附属の先生は教科書は使わない。 - 「何を学ぶことが大切か」,「何で学ぶことが大切か」,「どうやって教える(学ぶ)ことでそれが可能になるのか」等を選択肢を広げて考える。 - 「教科書は使っていない」けど,「教科書で想定していることを最適な方法で実現している」はずなので,法律違反になっているわけではない。 **A.4 ペーパーテストの呪縛 - 「何を学ぶことが大切か」を考え,それに取り組み,いい授業を実践できると,うれしい。 - きっと生徒もうれしい。 - 授業者としては,それだけでも満足する。 - 周りにいる人間にとっては,共感する。 - でも,「評価」を明確にすることや,客観的に行えることや,再現可能性が求められると(科学化)とたんにむずかしくなる。 - 自分でやっている授業も,ほとんど「一期一会的な存在」なので,再現可能性なんてむずかしい。それは他の人でもできるようにするなんて,ほとんど不可能だ。 - ある意味,教育は,「art」である。 - 数学は入試等での選抜に使われる教科でもあり,そこではペーパーテストが使われるので,特に高校の先生にとっては,「本当の力」というのは,「入試でいい点数がとれる力」だったりする。 -- ホンキで,そう語る方って...いるんだよね。 -- でも,「それが最終的な評価基準だとすると,....それも一つの真実」でもある。 - それって,... **A.5 「学びを革命的に変えてきたもの」としてのICT - 「印刷」は革命的だった。 - だから,紙は文化を支えてきた。 - もう紙はいらないというわけではない。でも,「紙の山」も幸せではない。 - ペーパーレスは,当然のこと。代替手段ができたのだから。 - そこでのICTってなにかといえば,「書庫の電子化」であり,「脳の外化」 - 覚えることの価値はかなり軽減した代わりに,「検索の達人」であることが求められる。 -- 「達人」じゃないと,「クリックするサル」でしかない。 -- でも,上記は,society 4.0でのおはなし。 - ペーパーテストでは「本当の力をはかれない」のは当然なのに,society 4.0のときでさえ,それを反映できる評価も確立されなかったし,授業も変わらないままだった。 - 「society 5.0 で生きるはずの生徒たち」「少子化の中で,生産性を高めた働き方が求められるはずの生徒たち」を教え評価する方法が,「こんな時代遅れのままでいいんだろうか」 - 附属高校校長として一番感じたこと -- 学校教育,特に高校は,近代化の産物。でも,産業革命の中で,時代遅れの存在になってしまっている。変わらないといけないのに。 **A.6 - 幸か不幸か,コロナ禍があり,産業革命は加速されている。 - 「まじめな日本」,「あまりに工業化社会に合わせすぎた日本」は,変われないまま,取り残されつつある。 - でも,やっと,GIGAスクール構想で,「変革のための一つのチャンス」をえた。 - 今後10年は,きっと混乱。 - でも,少なくともみなさんは,「そういうものが当たり前」の中での教育を考え,行動しないといけない。 **A.7 豊富な選択肢を持つことと,意思決定。 **A.8 STEM教育の中での数学(M)の立ち位置は? - **A.9 「数学」がきちんと生き残るためには - かなりの可能性で,算数教育・数学教育は,「パッケージ化されたもの」にされてしまう。 - 「基礎・基本」であることはまちがいなので,それがなくなることはない。 - でも,数学って,ただの「計算術」なのか? -「それ以上のもの」であるためには... **A.9 散歩して感じたこと=「幾何は森であり,代数はコンクリート」 - **A.10 -- society 5.0 は別世界。 -